。非常時に於ても、人間には直接当面の必要以外に、そしてそれと同時に、贅沢なる欲望があると同様、社会には、制度変革を必要とする以外に、そしてそれと同時に、前進的文化の欲求がある。
学芸のひいては文化の自由なる進歩発達を擁護せんとする「学芸自由同盟」に、その行動の方向があるとすれば、それはただ前進であろうと、私は考える。随ってそれは、あらゆる意味の後退に反抗するであろう。ナチスの焚書をこの同盟の母体は後退的なものと見、滝川教授罷免問題をこの同盟の準備委員会は後退的なものと見たと、私は解釈する。或る人々が揶揄してるソヴィエットに対する問題は、事前に属する事柄だけれども、現在のその強権主義が前進的であるか後退的であるかの見透しがついてから、それに対する同盟の態度も決ることだろうと、私は考える。
前進的自由主義の動きが、平野の中に於ける河の流れのように静穏である限りは、恐らく「学芸自由同盟」などというものは起らなかったであろう。然るにかかる同盟が創立された所以は、自由主義の動きが何物かに堰き止められたことを証明する。そしてこの堰は、恐らくは後退的ファシズムであろうと、私は考える。
ファシズ
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