自由主義私見
――学芸自由同盟に関連して――
豊島与志雄

 自由主義は、行動方針の問題ではなくて、生活態度の問題である。実践的動向の向うにある目的ではなくて、生活それ自体の翹望である。翹望である以上、固より、対象として「自由」を持つものではあるが、かかる「自由」は、本来、生活それ自身と合体しているものであり、謂わば、生活が本能的に持っている一面である。随って、かかる「自由」は、それのみでは、或る特定の社会構図を画くものではない。
 この「自由」は、必然に、各人のそして同時に万人の自由を意味する。各人の周囲に或る境界線を引いて、その範囲内に於ける限りの自由ではなくて、各人の自由の中に自己の自由の延長を見る自由であり、平等に於ける連帯的自由である。それは性質上、吾々が本能的に有する正義感に似ている。法律的な或は習慣道徳的な正義感ではなく、本能的な原存的な正義感は、各人に分配された正義をではなく、各人のそして同時に万人の正義を意味する。
 由来、「各人のそして万人の」という言葉は、その観念を、至上命題化して、宙に浮遊させがちである。然し上述の「自由」は、それが吾々の生活の本能的一面である以
次へ
全7ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング