ずいぶん目をかけてやっておりました。家庭で働くというよりは、たとえて申せば、会社の女事務員とか、デパートの売子とか、そういう方面へも向くような人柄でした。或る時、ふと、そのことに触れてみますと、
「そのようなこと、きらいでございます。」
 一言、きっぱりと答えました。
 ふだんは無口な代りに、思ったことははきはき言う方でした。言葉遣いも、田舎から出て来た当座は、だいぶ訛りがありましたが、たいへん早く標準語に直ってしまいました。電話の受け応えも、自然に覚えてしまいました。まあ、頭がよろしいとでも申しましょうか。
 でも、よく注意してみますと、いつもにこにこしておりますが、どことなく陰気らしいところ、なにか暗い影を背負っているようなところが、ありました。会社勤めなどは嫌いだというのは、本当のことだったのでしょう。手紙は時々参りましたが、往き来する友だちもなかったようでしたし、映画を見に行くこともめったにありませんでした。
 母親は幼い時に亡くなり、父親の手で育てられたのですが、あの子の言葉のはしばしから察しますと、頑固な一徹な気性の父親だったらしく思われます。兄は、事件当時こちらへ出て来ま
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