したので、わたくしは直接逢いましたが、律気なむっつりした男でした。いったい、あの子は自分の身の上のことを、あまり口にしたがりませんでした。
 あとで、も一人の女中、近《ちか》さんに、聞いたことですが、あの子は郷里にいる頃、女学校を卒業する前後のことでしょうか、ひそかに愛してる男があったようです。同じ村の、昔は大きな地主だった格式の高い家の息子で、東京の或る専門学校に通ってる学生でした。休暇の折りには、いろいろな物を買ってきてくれたそうです。二人の仲がどれほどのものだったかは分りませんが、まあ、初々しい牧歌的なものだったのでしょう。ところが、その学生が、東北地方の山に雪中登山をして、遭難して死にました。何という山だか、近さんは聞きもらしていましたが、この話ぜんたいも、近さんの想像が相当にはいっているらしく、確実なことは分りかねます。けれども、このことが、あの子の心に深い極印《こくいん》をおしていたに違いないと、いろいろな点で考えられます。
 わたくしはあの事件後、ひそかに、あの子の室を仔細に調べてみました。警察の方でさんざん掻き廻した後のことでもあり、もとより、何の手がかりも得られません
前へ 次へ
全28ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング