、一方では、わたくしはむしょうに腹が立ちました。清さんはよその家の大事な娘さんです。それをわたくしの家に預りながら、とんでもないことになってしまったのです。わたくし自身の娘が、もしもそのような目に逢ったとしたら、どう致しましょう。その腹立ちが、杉山さんへよりも、眼の前の清さんへ向いていきました。
「その時、なぜ逆らわなかったのです。噛みついてやるなり、声を立てて助けを呼ぶなり……。家の中ですよ、野原の中ではありませんからね。」
 わたくしはむしゃくしゃして、清さんを睥みつけていたらしゅうございます。
 すると、突然わたくしは、天から地へ転げ落ちたような思いがしました。清さんが静かに、次のように申したのです。
「はじめは、杉山さまとは分りませんでした。はじめは、旦那さまかと思いましたので……。」
「旦那さまだったら……我慢してるというんですか。」
「はい。」
 はいというその返事が、錐のようにわたくしの胸に刺さりました。
 嫉妬とまでは申しますまい。疑惑とでも申しましょうか。一度に、さまざまな疑惑が湧き上ってきました。
 清さんは、わたくしにばかりでなく、三上にも気に入っていました。わた
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