その人が、清さんの部屋の方へやって来て、そっと襖を開けました。それが、杉山さんだったのです。
 杉山さんの寝間着姿を一目見ると、清さんはとっさに立ち上りました。部屋の出入口は二つあります。その一つ、杉山さんがはいってきたのとは別の出入口から、清さんは逃げ出して台所へ行き、水をじゃあじゃあ流し、もう洗ってある食器類をまたがちゃがちゃやり、ただやたらに物音を立てました。
 そんなことを気長にやって、それから、そっと自分の部屋の方へ戻ってきて、様子を窺いますと、杉山さんはもう居ませんでした。それで清さんは、電燈を消して横になりましたが、着物は着たまま、ただ蒲団をひっ被って、うとうとしただけだったらしゅうございます。
 朝になっても、清さんは杉山さんを避けておりましたが、とうとう洗面所でつかまりました。その時、杉山さんは、三千円入りの封筒を清さんの懐に押し込んだのです。
「ほんの僕の気持ちだ。なんでもないんだ。内緒にしとくんだよ。三上さんの耳にはいると、僕もちょっと工合が悪いんだ。こんどまた、ゆっくり話すよ。」
 杉山さんはそんなことを言ったそうです。
 清さんはその封筒を、ちょっと中を覗いて
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