な目に出逢う。遠廻しに言寄ってくるひともあれば、露骨にもちかけてくるひともある。NさんやKさんは実にしつっこい。そんな人たちの話をもち出してみても、高木さんは静かに頬笑むだけで、何の反応もない。古代文字とかをいじくり廻したり、鳥の飛ぶのを眺めたり、雲の行方を見守ったりするだけで、わたしが側にいても全く無視して、何の話もしてくれない。閨の中でだって、一度も積極的に出てくれたことはない。その無反応さが、私には癪にさわるのだ。
 少し困らせてやれと思って、壁を塗り代えるのを口実に、しばらく続けて、あの人の家へ泊りに行ったが、やはり何の反応もなかった。わざとふてくされた真似をして、朝寝坊はするし、我儘一杯に振舞ったが、何とも言わないのだ。せめて、布団ぐらい自分でたたんだらどうだとか、室の掃除ぐらい女中に手伝ったらどうだとか、一言でも言って貰ったら、わたしはどんなに感謝したか分らない。飼い猫同様に待遇されるのは、たまらないことだ。わざと、電話もかけないで、一晩すっぽかしてやったが、翌朝行ってみると、あの人はけろりとしていた。わたしのことなんか、少しも気にかけていない。悪態をついても、一向に通じない。もう泊りに来ないと言っても、眉根一つ動かさない。金がいると言えば、すぐに承知して、自分で持って来てくれる……。
 ああ、わたしはどうすればよいのか。こちらの言うことは何でもしてくれるけれど、それが頼りになるということなら、いっそ、そんな頼りにはなれない方がいい。怒ったり引っ叩いたりしてくれたら、その方がどんなに頼りになることか。
 あの人は時々酒を飲みに来る。一人の時もあれば、友人連れの時もある。わたしが冷淡にしようと、馴れ馴れしくしようと、そんなことは全く気に止めていないらしい。いつもにこにこしていて、心に聊かの屈託もないらしい。頭髪の手入れから服装まで、独身者らしい投げやりなところは見えるが、それでも清潔で、肉附のよい頬の血色が美しい。そしていつも微笑してるような眼眸である。その様子を見ていると、どうしたことか、わたしは苛ら立ってくるのだ。仕返しをしてやりたい。わたしへの無関心というか無反応というか、それの仕返しをしてやりたい。
 わたしはあの人を憎み始めたのかも知れない。罠におとすことを考えたのである。それとも、最後にも一度あの人をためしたかったのであろうか。
 あの人は菊ちゃんに帯地を一巻くれた。わたしに内緒のつもりではあるまいが、わたしのいないところでくれたのである。御所車の美しい刺繍のある立派なものだ。それを見てわたしは、あの人がわたしには嘗て何一つ買ってくれたことのないのを、思い浮べた。もしあの人が菊ちゃんに多少の好意を持ってるとしたら、何より好都合だ。
 菊ちゃんはまだ二十にもならない小娘だが、酒場に働いてるだけに、相当物分りはよい筈だ。わたしは菊ちゃんに策略をさずけた。
 来月の一日から一週間ばかり、わたしは田舎に行く用事が出来て、店は休業とする。菊ちゃんも隙になるし、まだ熱海に行ったことがないから、二日から一二泊の予定で、高木さんに連れて行って貰う。――そういうことを、わたしに内緒で、高木さんに頼んでみるのである。是非とも、後生一生の願いだと、頼んでみるのだ。
 菊ちゃんは笑って、なかなか承知しなかったが、わたしは無理に押しつけた。それから数日後、菊ちゃんの報告では、高木さんはわけなく承諾したとのことだ。さすがに、わたしはかっとなった。今に見ておれ、という気になった。
 月末近く、或る日、わたしはさり気なく高木さんに言ってみた。
「月を越したら、二三日、どこかへ連れていって下さらない。熱海でもいいわ。」
 高木さんは眼を丸くした。
「それは、話がへんだね。君は一週間ばかり田舎へ行くし、店は休みにするとか、菊ちゃんが言っていたよ。それで、僕は菊ちゃんを熱海に連れていってやると、約束したんだが……。そんなら、三人で熱海に行こうじゃないか。」
 なんのことはない。高木さんはにこにこ笑っているのだった。
「菊ちゃんと二人でいらっしゃいよ。」
「菊ちゃんと二人じゃ、どうせ面白いことはない。三人で行こうよ。」
 手応えがなくて、わたしは拍子ぬけがしたが、それから急に腹が立ってきた。
「あなたの気持ち、よく分りました。わたし、今晩こそ酔っ払うわ。」
 もっともっと、悪態をついてやりたかったが、言葉が出て来なかった。酒を飲んでるうちに、悲しいのか口惜しいのか分らなくなってきた。
「ねえ、今晩どこかへ連れていって。そしてうんと飲まして。」
 つい寄りかかってゆくような気持ちになるのを、踏みこたえて、唇を噛みしめた。
 けれど、やはり持ちこたえられなかった。自動車をひろって、高木さんの知り合いの特殊旅館へ行き酒を飲んでるうちに、わたしは泣き崩
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング