敏子さんは面喰った気持で、散らかってる紙幣をぼんやり眺めていた。そこへ看護婦がはいって来た。敏子さんは顔を真赤にして、紙幣をかき集めた。
「あら、どうなさいましたの。」
不用意に発した言葉に看護婦も自分でまごついて、室の隅っこへ行って坐った。
吉岡は一言も発しなかった。何か一心に考え込んでるらしい眼付で、じっと天井を睥め続けていた。暫くたって敏子さんが言葉をかけても、眉根一つ動かさなかった。病気が悪くなってから、彼のそういう執拗な不機嫌さに馴れていたので、敏子さんは強いて問題に触れないことにして、金を納めた洋封筒を帯の間に差入れた。
それから三十分とたたないうちに、吉岡の蒼白い頬にぽっと赤味がさして、額に汗がにじんできた。看護婦が調べてみると、熱が高まって脈搏も多くなっていた。
「何かひどく興奮なすってるようでございますが……。」
小声で看護婦からそう囁かれて、探るような眼付で見られると、敏子さんは訳の分らない狼狽を覚えた。腸に新たな障害を来してるので、大切な時期にさしかかってると、主治医から警告された矢先なので、猶更敏子さんは落付けなかった。
「何か気に障ることがありましたら、すっかり云って下さいよ。私で出来ることなら、河野さんにそう云ってやってもようございますし、何とでも致しますから。」
看護婦の手前も構わずに、敏子さんはいろいろ尋ねかけて、彼の心を和らげようとしたが、彼は黙りこくって、一心に何やら考え込んでる様子だった。結核患者特有の敏感な意識と執拗な気分とで、内心の或る不愉快なものにじりじり絡みついていってることが、敏子さんにもはっきり見えてきた。それと共に、看護婦が妙に二人の間を距てるような気勢を示してきたことも、敏子さんの心を打った。
敏子さんは家の中を、あちらへ行ったりこちらへ来たりして、いつになく気が落付けなかった。
そういう所へ私はひょっこり行き合したのである。
敏子さんは私をいきなり茶の間へ引張っていって、其の日の出来事を話してきかした。然し聞いてる私にも更に要領が掴めなかった。敏子さんには猶更だったらしい。
「ええ、さっぱり訳が分らないから困ってしまいますの。何で吉岡がああ苛ら苛らしだしたのか、それさえ分っておれば、何とかしようもありますけれど、いくら考えても合点がゆきませんのよ。もし……何でしたら、あなたからそっと聞いて頂けませんでしょうか。」
頼まれてみれば引受けないわけにはゆかなかった。然し私はそういうことには極めて不向だった。その上、何だか馬鹿馬鹿しいことのようでもあるし、非常に込み入った重大なことのようでもあるし、一寸掴み所がなかった。河野が四年前に借りた八百円を返しに来た、単にそれだけの当り前のことで、別に不思議はないのだから、吉岡がつまらないことに神経を苛ら立たせてるのか、または裏面に複雑な事情が潜んでるのか、どちらかに違いなかった。がどちらにしろ、吉岡が危険な容態である以上は、それに触れるのは困難なことだし、一歩離れて考えれば、馬鹿げてることだった。まあいいや、吉岡に逢った上で……そう私は決心して、病室へ通った。
その時私は幸にも、ロシアやドイツやスウィスあたりの、人形や木彫の玩具などの画帳を一つ見出して、吉岡の無聊を慰めるためにと持って来ていた。で何気なく病室にはいっていって、それを吉岡の枕頭に差出した。
「一寸面白いものが見当ったから持って来たよ。」
「そう、有難う。」
吉岡は私の方をちらと見やって答えたまま、画帳には手も触れなかった。
「気分はどうだい。」
「うむ。」
曖昧な返事をして、私の方を見向きもしなかった。
その不機嫌な様子よりも、何だかじりじりしてるらしい顔付に、私は注意を惹かれた。もう十日ばかり食慾不振で、僅かな流動食しか取っていないので、眼が凹み頬の肉が落ちてるのは当然だが、その顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりに蒼白い筋が浮いて、びくりびくり震えていて、一寸した衝動にもそれが手足の先まで伝わってゆき、神経質な痙攣的な震えとなってゆきそうだった。こんな風じゃとても駄目だと私は思った。そして暫く黙ってた後に、早く退出して用件を敏子さんに返上しようと考え初めた。
その時、吉岡は不意に看護婦の方へ呼びかけた。
「一寸話があるから、あちらへ行っててくれないか。」
私は吃驚したが、看護婦は落付払っていた。
「でも、余りに込み入ったお話をなさいますと……。」
「大丈夫だ。一寸の間だから。」
看護婦が意味の分らない目配せを私の方にして、不機嫌そうに出て行った時、私はもう蛇の前に出た蛙のように竦んでしまったのである。そういう私に向って、吉岡は一二分の沈黙の後、いきなり爆発しかけてきた。
「君は敏子に頼まれて僕の所へやって来
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