礎工事を施し、その上に石を据え煉瓦を積み、柱を立て屋根を覆い、そうした建築工程を側に立って見守っているものと、常識的には考えられる。だが、真の建築家は恐らくそうではあるまい。文学上の作者は更にそうではない。それぞれの円柱を、それぞれの硝子板を、それぞれの屋根瓦を、建築全体を自分の双肩に荷っている。体力が続かない場合には作品を投げ出して砕くか、或は其重みの下に圧倒されるからである。
ドストエーフスキーに就いて繰返して云おう。あの集約的な構成、陰惨な事件、異常な人物、深く激しく錯綜葛藤してる心理、それらの渦巻や突風のなかに、作者は身を以て飛びこみながら、実はまた、その全体を双肩に荷っているのである。精神と肉体とをこめた謂の体力が、よほど強大でなければ、よほど逞ましくなければ、それは持ちこたえられるものではない。
彼はそれを持ちこたえた。最後まで持ちこたえた。だが、その最後に、彼の吐息を聞いてみよう。――作品の結末の数行に、その吐息が聞かれないであろうか。
「罪と罰」――
……こうした幸福の初めのあいだ、彼らはどうかした瞬間に、この七年を七日と見るくらいの心持になった。彼は、この
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