作家的思想
豊島与志雄
優れた作品にじっと眼を注ぐ時、いろいろな想念が浮んでくる。それらの想念は、直ちに文学論或は芸術論になるものではない。そういうものになす前に、先ず突破しなければならないところの、または整理しなければならないところの、一種の壁であり素材である。宛も、いろいろな人間なり事実なり感情なりに当面して、それを先ず突破しまたは整理しなければ、作品にならないのと、同様であろう。――然るに、現実の人間や事実や感情と、創作された作品と、どちらがより深く人の心を捉えるであろうか。この答えは、両者の性質によって、また答者によって、さまざまであろうが、結論に飛べば、現実同様の或はそれ以上の迫力を持てと作品に要求されている。同じように、作品からじかに来る想念と同様の或はそれ以上の迫力を持つように、文学論に要求されている。このことは、純理的にはおかしい。だが真理でもある。おかしい真理が成立するところに、文学の生き物たる所以があるのであろうか。
文学そのものの生態は茲に問わず、個々の作品の生態こそ、奇妙である。その初端と結末とに於て、多くは微妙な呼吸をしている。
如何なる作家にとっても
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