に身を投じたからそういう性質の事柄になったのであろうか。これは微妙な問題であるし、作者の思考の強さ激しさに依ることでもあるが、先ず、両者は相互関係にあるものと見られる。
 さて、そういう性質の事柄のなかに身を投じてそれを持ちこたえるのは、単に創作技法の上だけでも、容易なことではない。その抜け途の技法の一つに、「わたくし」なるものがある。彼の作品のなかには屡々、得体の知れない「わたくし」という者が出て来て、その「わたくし」の眼や口や耳の力をかりて叙述が進められている。この「わたくし」は、或る場合には名前を持つこともあるが、然し決して一個の人物となることがなく、謂わば普遍的な人物であり、第四人称的人物であって、その存在を見せない場合にあっても、大抵その眼はどこかに見開かれている。――この第四人称的な「わたくし」は、人間性探求の文学が発見した創作技法の究極的なものの一つであろう。
 ドストエーフスキー的世界から眼を転じて、現在吾々が当面してる文学のことを考えてみよう。ここでは、建設の文学が最も要望されている。建設にも種々あるが、つまりは生活建設の謂であろう。政治上の種々の画策、経済上の種々の
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