るとき、大抵いつも階段に向って一杯あけ放しになっている主婦の台所わきを、通らなければならなかった。そしてその都度、青年はそばを通り過ぎながら、一種病的な臆病な気もちを感じた。彼は自分でもその気もちを恥じて、顔を顰めるのであった。彼は下宿の借金が嵩んでいたので、主婦と顔を会わすのが怖かったのである。
 尤も、彼はそれほど臆病でいじけきっていた訳でなく、寧ろその反対なくらいだった。が、いつの頃からか、彼はヒポコンデリイに類した苛立しい張りつめた気分になっていた。彼はすっかり自分というものの中に閉じこもって、すべての人から遠ざかっていたので、下宿の主婦ばかりでなく、一さい人と会うのを恐れていたのである。……

  「白痴」――
 十一月の末のことであった。かなり暖い朝の九時頃、ペテルブルグ・ワルシャワ鉄道の一列車は全速力でいよいよペテルブルグに近づいていた。あたりは湿っぽく、霧が深く、漸くにして夜が明け放れたと思われるくらいであった。汽車の窓からは、線路の右も左も、十歩のそとは何ひとつ容易に見わけがつかなかった。旅客の中には外国帰りの人も交っていたが、それよりは寧ろ三等車の方がずっと込んでい
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