く、親父だけだ。」
 そして「おやじ」が熱すれば熱するほど、独身主義の「とりうち」は益々冷やかになっていった。
「それじゃあ、一層のこと、その厄介な息子も何も捨てちまって、独り身になって、吾々の仲間にはいったらどうです。気楽ですぜ。」
「おやじ」は何とも答えないで、水を浴びたように口を噤み、相手の顔を見据えた。それから、ふらふらと立上って、土間を、黝ずんだ木卓の間をぬって、帳場の方へ行き、空のビール瓶を一本取って来た。足元は危なげにふらついていたが、どかりと元の席に腰を下す拍子に、ビール瓶を卓子の上に立てた。
「わたしは議論はしない。この瓶が証拠だ。わたしの云ったことに間違いはない。わたしは誓いを守る。親父としての誓いを守るんだ。いよいよの時には、わたしにもどれほどの力があるか、この瓶が証拠だ。」
 見ていた連中は微笑を浮べた。それは彼のいつもの癖だった。したたか酔ってくると、何かの調子に空のビール瓶を持出した。
 いつのことか、彼は朝鮮人の喧嘩を見たことがあった。二人で何か云い争ってるうちに、一人が立上って、卓子の上の空のビール瓶を取るが早いか、相手の脳天めがけてすぱーりといった。ど
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