ろもろの形式であり、甲殼である。それを突き破らなければ、将来への息吹きが通わない。それ故文学者は、現実に対する反逆児となり、現実との格闘者となる。
 そこで、私はまた早速に言う。右のような反逆や格闘を内に秘めていない文学を、私は低俗なものとして軽蔑する。もとより、日の光りを楽しみ、自然を愛し、人間を慈しみ、生きてる悦びを歌う、そういう文学は、美しいものであろう。然しそういうことが、今日の条件に於いて果して可能であろうか。可能だとするには、白痴的なものが必要であろう。白痴は精神の一種の麻痺だ。麻痺から覚醒した精神は、今日の条件では、反逆児になり格闘者たらざるを得ない。――それほど大袈裟に言わずとも、一歩妥協して、文学は美しいものであれかしということを是認してみよう。ところで、作品の美しさそのものに、古さと新らしさとを吾々が感ずるのは、何に由来するのか。美に新旧はない筈だ。この問題を追求してゆくと、反逆的な何物をも持たない作品はすべて古く、反逆的なものを持つことの多い作品ほど新らしい、ということが発見される。そして現在、古い感じのする作品が、新人たちのそれにさえ、何と多いことであるか。
 
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