充分にあるものだが、然し、常に将来への指向を内蔵しているべき筈であり、内蔵していなければならない。この将来への指向を、日本の文学は喪失しがちであったし、また喪失しがちである。極言すれば、それを獲得することに怠慢であるとも言える。――現在、戦争中のことや戦後のことが数多く書かれている。いろいろな面が発掘され曝露されている。だが、ただそこだけに閉鎖されているものが何と多く、将来へ息吹きを通わしているものが何と少いことか。思想性の貧困はその当然の結果である。
 如何に徹底した写実も畢竟はフィクションによって歪曲されるということは、既に自明の理である。そしてこの事情の下に、現実そのものに対比して文学自体の無力が承認されている。然しながら、文学自体のこの種の無力さを、現代の文学者は問題としない。そのようなことはどうでもよいのだ。重要なのは建設にある。将来を指向するその線に沿って如何なるものを建造するかにある。而もこの建造に対して、至るところに障碍がわだかまっている。至るところに障壁がつっ立っている。それを打破しようと文学者は血みどろになって闘う。
 それらの障壁こそ、実は現実なのである。現実のも
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