た。
「どうしてあんなに執念深いんでしょう、嫌になっちまうわ。」とお清はぼんやり云っていた。「だけど、あの男ばかりじゃないわ。あたし毎晩泥棒につけられてるような気がするのよ。夜中に家のまわりによく足音がして、おちおち眠られもしないことがあってよ。」
「それもやはりあの人じゃないかしら。」とお新が云った。
「そんなことないでしょう。……あたし何だか気味が悪いから、近いうちに引越そうかと思ってるの。」
 それから話は家賃や室代のことになった。
 その、お清が殆んどでたらめに云ったことが、強く父の注意を惹いたらしかった。父はぎくりと頭をもたげて、正面にお清を見つめ初めた。皆がその場に居合してることを忘れたかのようだった。お清は少し身を引いてもじもじしだした。混血児風の顔が石の彫刻のように見えた。そして、話半ばに突然帰っていった。
 母と姉とは、彼女から貰った立派な果物を持出して、いろいろ品評し感心し合った。
 お清に対する父の凝視には誰も気付かないらしかった。五十を越した失職職工がお清に夢中になろうとは、思いも寄らぬことだったに違いない。
 然し私は父を責めたくはない。当時私はただ恐怖と不安
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