。あたしあの時計に自分のを合して、入口で待っててあげるわ。」
 私はその通りにすると誓った。
「ああそれから、あんたお金があって。」
「ないよ。」と私は小声で答えた。
「じゃあ、これを持っていらっしゃい。あすこじゃ都合が悪いから。」
 彼女は小さな蟇口から五十銭銀貨を二つ出してくれた。私は驚いた。一円そこいらではとても行けないと思っていたのである。
「これでいいの。」
「ええ。」
「これくらいなら持ってるよ。」
「じゃあそれも一緒に持ってくるといいわ。……よくって。交番の時計がきっかり七時になったら、一二一二って歩き出すのよ。」

 私はお清と約束した通り決行した。全くそれは決行と云ってもいい程度のものだった。平素の憤懣を晴らすというような、また空漠とした愛慾に惹かされるというような、また何かしら未知の世界に憧れるというような、いろんな気持が一種の熱となって、私は夢中に燃え上っていたのである。
 二日の間に私はあるだけの智恵をしぼって考えた上で、父母の前はどうにかごまかすことが出来た。そして他処行《よそゆき》の着物を――それも久留米絣のものだったが――着込んで、古いマントにくるまって、
前へ 次へ
全64ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング