他人の経歴も余り聞きたがらなかった。そして多くは私を相手に、面白い歴史の話や地理の話をして聞かした。私はまだ学校で歴史も地理も教わっていなかったので、彼を学校の先生よりも豪いと思った。そして殊に、彼が日本中のどこでもよく知ってるのに喫驚した。彼はまた、星のことをも話して聞かした。それから習字も直してくれた。
「わたしは字は下手なんだが、お前よりは上手なつもりだよ。何事でも、自分より少しでも上手な人には教わっとくと、いつか為めになるものだ。どれ、わたしが直してやろう。」
学校の清書を見せると彼はそう云って、二重まるのついてる字でも何でも構わずに、どしどし直していった。――彼の字は何だかひどくまるっこい感じのするものだったことを、私は未だに覚えている。
父が砲兵工廠を止す前後、彼はひどく忙しそうで、毎晩出歩いていたらしい。私は彼の姿がちっとも見えないので、よく裏口からその室の方を覗いて見た。けれど窓に光のさしてることは一度もなかった。
彼が職工の運動に関係してることは、父の話でほぼ分った。ただそれがどんなことだかは、当時の私には全く分らなかった。
ところが、大晦日の前日の夜、彼は久
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