不精髯がもじゃもじゃ生えてる父の顔は、何だか世の中に始終不平を懐いていて、何かのきっかけがあれば、どんな悪事をも平気でやってのけそうな感じだった。
 母もそれに気付いてると見えて、父が就職口を探しに出歩く時なんか、やかましく云って髯を剃らせた。が平素、父は髯を剃ることをひどく億劫がっていた。
 或る時、父は一包みの古釘をどこからか持って帰った。そして火鉢の横に、厚い鉄板と金槌とを持出して、曲りくねった古釘を丁寧に伸ばし初めた。
「そんなことをして、何にするんだい。」
 母は頭ごなしにやっつけていたが、父はただにやにや笑ってばかりいた。
 その翌々日の夕方、山本屋の小僧に住み込んでる中の兄の啓次が、自転車で慌しくやって来た。真赤になって怒っていた。父が店にやって来て、古釘を貰っていった、自分は恥かしくて顔が上げられなかった、あんなことをして貰っては、朋輩に顔向も出来ない……とそう云うのだった。そして云うだけのことをぽんぽん云って、そのままぷいと帰っていった。
 母はびっくりしたような顔付をしていた。兄が帰ってしまうと、暫くたってから、じりじり父の方へつめ寄った。
「お前さんにも呆れて物が
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