っていた。そのことについてだけは、母も真面目に相談にのって、あれこれと就職口を頼みこむ方便を考えてやった。然しいつまでも父の職は見付からなかった。初め砲兵工廠を止すとすぐに王子分廠の方へ出る手筈だったらしいが、それももう駄目ときまっていた。
「お前さんがどじだからよ。」と母は腹を立てたような蔑んだような口の利き方をした。「だけど、長年苦労をしてきたんだから、暫く遊んでおいでよ。わたし達はお前さんを当にはしていないんだからね。」
「そりゃあ、どうせ俺はもう、世の中に用のねえ人間なんだが……。」
世の中に用のないということは、殆んど父の口癖となっていた。そしてそれはまた、父が口を噤む最後の捨台辞でもあった。その極り文句を吐き出してしまうと、いつもむっつり黙り込んでしまった。そしてひどく陰欝な顔付になった。それが、髯を剃ってる時には痛々しく見え、髯が伸びてる時には兇悪に見えた。
髯が剃られてるのと伸びてるのとで、人の顔の感じが甚しく異るのを、私は最初に父に於て見てきた。髯のない父の顔は如何にも善良そうで、世の中の苦労を嘗めつくしてきて弱りはててる、云わば温良な落伍者の感じだった。けれど、
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