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或る晩、十一谷義三郎君と碁を打ち始めた。三番という約束だったが、三番とも私が負けた。そんな筈はないので、も一番やろうと私は挑んだ。
「いや、もう止した。変に疲れちゃって……。」
彼は顔の筋肉一つ動かさないで、彫像のようになって、煙草を吹かしている。
「も一番やろう。勝ち逃げは卑怯だ。」
「いやもう止した。」
少し猫背加減に坐ったまま、びくともしない。
「も一番やろうよ、さあ。」
「いやもう止した。」
私は彼に挑んでゆくのが面白くなって、何度も勧めてみた。然し彼は「いやもう止した。」を永遠に繰り返すつもりらしく、愉快不愉快を超越した没表情な顔付で、猫背加減に火鉢へ屈み込んでいる。しまいには私の方で精根がつきて、笑い出してしまった。
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或る日の夕方、山本有三君が威勢よくやって来た。何処かで飯でも食おうというのだ。ところが私は、もう飯を半ば食いかけていたし、〆切間際の原稿に追われていたし、出かけるのが億劫だったので、とうとう私の家に坐り込むことになった。そして、この美食家にたまにはまずい物を食わしてやれという気になって、夕食代りの註文をきくと、釜揚饂飩ならという返
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