まま別れてしまった。
如何にも月の美しい晩だった。
*
或る時或る所で、岸田国士君と落合った。大勢の中だったが、彼はつかつかと私の前にやって来て、こんなことを云った。
「弱った、明後日までに脚本を一つ書かなくちゃならなくなって……。こんなのどうだろう。晩春……咽せ返るような晩春の庭、そして手入れも何もしてない廃園という感じ……廃園の晩春というのが必要なんだ。その真中に古い深い池がある。その池の中に……。」
彼は戯曲の筋を簡単に話しだしたが、その筋なんかよりも、彼の眼の方が強く私の胸に迫ってくる。近眼鏡の下から、大きな眼玉が飛び出して、ぎらぎら光っている。晩春の庭の中の古池の主とも云える蛙の眼玉、それよりももっと力強く神秘的にぎらぎら光っている。
戯曲の筋を話し終って、「どうだろう。」と彼は尋ねかけてきた。が、素人の私に意見のありようはない。否何一つよくは分らなかった。ただ彼の眼玉を茫然と見つめたまま、自分のうちにも或る力強い創作欲が動いてくるのを感じた。そして口を噤んだまま、心の中で呟いた。
「どうだっていいさ。君の眼玉がぎらぎら光ってる以上は……。」
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