と、かの青年が立っていた。
「先日は……。」と云って彼女は軽くお辞儀をした。
 青年は興奮していた。躍っている胸をじっと押えつけているような表情をした。眼を一杯に見開いている。生々《いきいき》とした色が頬に流れている。彼女は先日の午後を思い出しながら、妙な気をしてこう云った。
「晴れた朝は気持がよろしゅうござんすことね。」
「ええ、」と答えたが彼は暫くしてつけ加えた。「あなたの生活はほんとに羨ましい。」
「いいえ今のうちだけのことです。夏から紅葉にかけてはお客で忙しくって、それにまたこれからは退屈な冬がやって来ますからね。……と云って別に何も怨むのでもないのですけれど。」
「日本に修道院があって……それにお入りなさるとよかった。」
「え?」
「今日のような朝、修道院の庭はどんなにか清らかでしょう。其処に跪いてじっと神を祈る人の頬には、感謝の涙が流るるでしょう。」
 彼女はふと我知らず淋しい気持ちに包まれた。で何とも答えないで青年を見ると、彼は唇を円くしてフーッと息を吹いている。白く凍って流るる息を、遠い空をでも眺むるような眼付で眺めている。「彼にとって今凡てが清らかで楽しいのだ」と彼女
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