は思った。そしてこう思うことは彼女に淡々しい淋しさを与えた。
「うちに舟がありましたでしょう。」と突然彼が尋ねた。「今日の午後あれを借りられませんでしょうか。」
「このお寒いのに!」
「寒い位何でもありません。では午後に屹度来ますから火を沢山熾しといて下さい。そしてお菓子と何か食《た》べるものも……。」
「でも水の上はお寒いでしょうよ。……お一人?」
「いいえも一人来るでしょう。」
彼は湖水の上をずっと見渡している。何時の間にか靄も消えて、水面は柔く太陽の光りに押えられて漣一つ立たなかった。
「それでは船頭にもそう伝えておきましょう。」
「いえ私が漕ぐんです。暖い火の外には何《なん》にもいりません。」
彼の眼は夢みるように輝いていた。彼女はじっとその顔を見た。おかしな不安が彼女の心に萠した。湖水の上から、対岸の陰った山懐から、遠く眼がかすむような山嶺から、更に青い空まで彼女は静に視線を移した。そして斯う云った。
「よろしいんですか。」
「ええ!」と青年は強く点頭《うなず》いた。
何がいいのかは二人の孰れにもはっきり分っては居なかった。彼等の影は長く渚の上に在った。露にぬれた礫《こ
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