のうちに物の輪廓が包まれた。そして月が仄白く空に懸った。
 燈火《あかり》をつけてから、彼女の心は不安を感じてきた。不安はそのまま緊張して神秘な形を取った。彼女はじっと耳を澄して隠れたる物の囁きを聞き取ろうとした。舟の中の二人の運命が夢のような静けさを取って彼女の心に写った。其処から怪しい蠱惑《まどわし》の不安が手を伸した。彼女はまた外に出てみた。それは日暮頃から四度目であった。彼女はまだ一度も舟の姿を認めなかったので。
 空にはもう太陽の光りが全く消えてしまっていた。そして月が明るく輝いて、物の象《かたち》の上に青白い匂いを置いた。湖水の上には夕靄が薄すらと靉いて、水の面《おもて》が水銀のように光っていた。彼女はじっと月明りに透《すか》し見た。
 舟が夢の国のように水面に浮いて見えた。彼女は我知らず息を潜めて其処に立ち竦《すく》んだ。
 二人は向い合って褞袍を被《はお》り乍ら舟の中に坐っている。男は両手を緊と握り合せて胸の処に組んだまま首を垂れている。女は両手を重ねてそっと胸を押えたまま同じく首を垂れている。――祈っているのだ! そのまま石になりそうに思われるほど彼等はじっとしている
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