ねた》んでいるのではない」と驚いて彼女は自ら強く肯定した。でもやはり青年をいつかの午後のように悩まして置きたかった。「神様が見ていられます。」と彼に云いたかった。そして青年の姿を思い浮べた。……その時暗い処へ引き入れられるような恐怖を彼女は感じた。でホッと溜息をしてまた明るみへ出た。そして聖書をとり上げてみた。暫くは頁をくっていたが、心のうちにぴったりと響を合せるものがなかった。
 午後の明るみが家の中を一杯に満していた。そして却って物の輪廓を朧ろ気にしている。囲炉裡の炭火にはもう白い灰が蔽っている。彼女の心には大きい不安と緊張とが波うった。何かしら重大な運命が自分を待ち受けているように思えた。それは只青年を待っている故ばかりではなかった。それでは?――「神様に奇蹟を求めてはいけない!」と彼女は心の中できっぱりと云った。
 青年が来たのは三時頃であったろう。
「ほんとうにお待たせしてすみません。」
「いいえ。」と云って彼女は笑顔を作ってみせた。然しその微笑は自然に痙攣していた。
 青年の後ろに若い婦人が一人立っていた。
「よく御出になりました。」と彼女は云った。
 女は只丁寧に頭を下げ
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