無いに等しいと。そして私達は、故郷というものについてはっきりした感銘を持たぬ者の不幸を語り、人はせめて、田舎の自然のなかで、そしてなるべくは自然美の豊かな処で、幼年時代の一時期なりとも過ごすのが、幸福であろうと、そんなことを話し合ったのであるが……。
それは兎に角、故郷という感銘が、田舎では強く、都会では弱いのは、何故であろうか。田舎には自然の風物が豊かである代りに、都会には人事現象が豊かである筈である。故郷というものは自然の風物の占有するものなのであろうか。
然しながら、吾々成人者は、そうした故郷の他に、も一つ、精神的故郷とも云うべきものを持っている。この精神的故郷は、自然の風物の中にはなくて、人事現象の中に在る。而も、人生に対して真摯な態度を持する者は、宛も境遇の変化によって一の土地から他の土地へ移転しなければならない場合があるように、一の精神的故郷を去って他の精神的故郷を求める必要に迫られることがある。それは単なる豹変ではない。更に根本的な進展であり更生である。
そうした旅立ちに当って、苦難な道程に於て、人は偉大な観念や思想よりも、たといささやかながらでも具体的な何かを必要
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