た。七夕の日には、朝早く、蓮の葉にたまった露を、硯の水に取りに行った。盂蘭盆の終りの日には、夜更けてから、仏壇の供物を蓮の葉に包んで舟を作り、蝋燭を立てて、小川に流しに行った。秋には、堰の落ちた堀川の淵で、釣やかいぼりをした。柿の木に登って、熟した柿をかじった。冬の雪の日には、高い竹馬に乗って、梢に残ってる蜜柑を取るのが楽しみだった。其他、一々挙げれば際限がない。
然し、そういうことを、私は一体誰と一緒になしたのか。私を甘やかしてくれた父母や大人たち、私が嬉戯した友人たち、それらの人々の印象は、今は朧ろにぼやけている。その代りに、山の峰々、水の流れ、水草の中に群れてる魚、河原の小石、大木の幹、種々の果物、藪影の小さな赤い草の実まで、自然の事物は、実に鮮明な印象を残している。要するに、故郷というものは、私にとっては、自然の事物の中にだけ存在するのである。
それ故、幼年時代を都会の中で――自然の事物に乏しい都会の中で――過ごした人々にとっては、果して如何なる故郷が存在するか、私には疑問である。この疑問を、都会で育った友人に質してみたところ、友人は淋しい顔で答えた、実際、僕たちには故郷は
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