いるのである。
 斯かる状態を概説するには、いきおい個々の作家なり作品なりを飛石伝いに辿ってゆくより外に途はない。現実に対する各種の態度を検討してみるより外に途はない。そうしてるうちには、おのずから将来の帰趨も――或は正しい見解も――浮び上ってくるであろう。
 ところで、現実に対する種々の新らしい態度を検討するに当って、先ず眼をつけなければならないのは、自然主義的態度である。自然主義は前時代の文芸界を風靡していた。それが行詰って、各作家は各方面に散って各自の途を歩き始めた。何故にそうなったか。それが先ず考察の緒口である。時代が一つ溯るけれども、自然主義的態度を瞥見してみよう。それに、この態度は現代にまで未だ深く根を張ってもいる。

      自然主義の破綻

 吾国の自然主義は、自然主義の本国ともいえるフランスから移植されたもので、その主張見解においてフランスのそれと聊かの差もない。だから直接フランスの自然主義を見る方が便利である。
 自然主義は元来科学的思潮を文学に取り入れて生まれたもので、唯物論的な人生観に立脚して、現実を絶対的なものとなし、あらゆる方法でそれに奉仕しようとする。即ち、作者は何かに偏した心を持ってはいけない。批判してはいけない。ただ現実のあるがままを描写すればよい。すべて存在するものは、みな同等の価値を持っている。美も醜も善も悪も同じである、というより寧ろ、作者にとっては美醜善意の区別はない。ただ真実だけが目的である。そして現実の真を掴むには、観察によるより外はない。観察せよ、観察せよ。
 フローベェルは弟子のモーパッサンにこう教える――「才能とは長い忍耐の謂である。……表現しようとする凡てのものを長くまた注意深く眺めて、まだ誰からも見られ、いわれなかったような一面を描き得るようにならなければいけない。凡てのもののうちには未開拓な点があるものだ。なぜかなれば、吾々は自分自身の眼を使用する場合に、吾々がうち眺めるものについて吾々より以前に人が考えた事柄を、必ず思い出すようになってくる。が最も些細なものにも人に知られていないところが多少あるものだ。その人に知られていないところを見出すことだ。燃えてる一つの火を描くためには、平野の中の一本の木を描くためには、その火や木とじっと向い合って、それがもはや他の如何なる火や如何なる木とも異なる、というまでになることだ。」
 ここで注意を要するのは、何等の先入見にも囚われない白紙的な眼で観察するのは、対象の個性を掴むのを目的とするということである。凡て新らしい思想なり見解なりが抬頭する場合には、いつでも、何等先入見のない新らしい眼で現実を見直さなければならない、ということが主張される。そしてそれは結局、現実を新たに見直す――新たに解釈する――ためにである。ところが自然主義では新たに解釈することが目的ではない。否、解釈や批判は凡て現実を歪曲するだけだと説く。現実が絶対なのである。そしてその絶対な現実の事物の個性を捉えるのが目的である。甲の樹木が「樹木」であるばかりでなく、「甲の樹木」である所以を、はっきり見て取らなければならない。類型を排して個性を掴むのである。
 現実を尊重するということは、当然の理である。そのために観察の必要なことは、いうまでもない。そして物の或は人の個性を掴み取らなければならないということは、芸術の世界では不変の鉄則である。生きた人間を描くというのも、要するにその個性を掴んでから出来ることである。
 観察によって現実の真相を掴み取るということは、対象が木や火である場合には比較的容易いが、対象が人間となると、そこに特殊の用意が必要となる。
 吾々は実際、他人がどういう風に考えたり感じたり意欲したりしているかを、少しも知ることは出来ない。ただその人がどういう風に口を利き身振をし行動するかを知るだけである。けれども、それらの言葉や身振や行為には必ず、その人の思想や感情や意欲などが裏付けられている……というよりも寧ろ、その内部の動きが外部の動きとなって現われているのである。だから、本当によく見える眼を持ってる者は、人の外部の動きを見て内部の動きを知ることが出来る。外部の現われを描写することによって、内部の世界をも描写することが出来る。勝手な想像や推察や解釈は、却って真実を損ずることが多い。
 然しながら、モーパッサンでさえもこう告白する――「現実を信ずることは、何と子供らしいことではないか。吾々は各自に、自分の思想や器官のうちに自分だけの現実を持っている。各自に異なった眼や耳や鼻や舌は、地上にある人間の数と同じ多くの真実を創り出す。そして吾々の精神は、各人異なった印象を受けるそれらの器官の指導によって、あたかも各自に異なった種属ででもあるかのように、いろんな風
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