てやる、とまで云った。
「病気ではございません。」と彼女は答えた。
「ではどうしたんだい。」
彼女は暫く考えていたが、低い声で云った。
「悪阻《つわり》のような気がします。」
「え、悪阻!」
順造は飛び上らんばかりに驚いた。
「本当かい?」
「ええ、屹度そうに違いありませんわ。」
眼を一つ所に定めて、心で胎内を見守ってる様子だった。
順造は初めの驚きが鎮まると、心がどしんと落着く所へ落着いた気がした。彼女から顔を見つめられると、冷かな調子で云った。
「じゃあ身体を大事にしなけりゃいけないよ。」
ふいに暗室の中に飛び込んで、暫くつっ立ってるうちに、闇黒に眼が馴れてきて、ぼんやり物の影が見えてくる、その心地に似ていた。
運命! とでも云えるものが、頭の上にじかに感ぜられた。過去の全景が、影絵のように浮出してきた。秋子の儚い運命が、茫と燐光を放っていた。順一の……。
星が光ってる!
あの時の感じが、胸の中に甦ってきた。それを如何に長く忘れていたことだろう!
順一はまるまる肥っていた。瞳の光が澄んでいて、目玉の動きの遅い所が、秋子によく似てるようだった。鼻筋が通って唇が心持ち
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