幻の彼方
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)喫驚《びっくり》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)肺尖|加答児《カタル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぐる/\
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一
岡部順造は、喧嘩の余波で初めて秋子の姙娠を知った。
いつもの通り、何でもないことだったが、冗談半分に云い争ってるうちに、やたらに小憎らしくなってきて、拳固と肱とで秋子をこづき廻した揚句、ぷいと表へ飛び出してみたけれど、初夏の爽かな宵の空気に頭が落着くと、先刻からのことが馬鹿々々しくなり、秋子が可愛くなって、また家に帰ってきた。顔を膨らして長火鉢にしがみついてる彼女へ、変にむず痒いような心地で云いかけた。
「何をしてるんだい。」
「知りませんよ。」
つんと澄ました声だったが、もう刺を[#「刺を」は底本では「剌を」]含ん
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