した。わざとその枕頭を力足で歩いてやった。
 順一は眼を覚して泣き出した。竜子は慌てて乳を含ました。
「むりに寝かしつけようとばかりしないで、少し抱いておやりよ。」
 彼女は黙って、順一が眠るまで待った。それから彼の方へ向き直ってきた。
「私を憎んでいらっしゃるんでしょう。それなら、私出て行きます。」
「出て行けと誰が云った!」
 理不尽な言葉を浴せかけてやったが、彼女は反抗して来なかった。下を向いたまま、髪の毛一筋揺がさないで、じっと坐っていた。
 鎗で突いても突き通せない、じいわりとした而も深い根を張った、重々しい容積という感じだった。彼が其処を立去っても、もう見向きもしなかった。
 彼は一人で苛ら立った。
 夜遅く眼を覚すような時には、心が冷たく慴えきって、何となくあたりが見廻された。誰も居なかった。八畳の室ががらんとしていて、孤独な自分の姿をぽつりと浮び上らせた。彼はなお室の隅々まで見渡した。誰かが隠れているかも知れないという気がした。
 その誰かが、無意識に探し求めている誰かが、実は秋子であることに気付くと、彼は堪らない気持になった。
 秋子、秋子!
 障子の硝子に映ってる彼
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