微笑んで彼の方を見返した。そんな問に答える必要はないという勝ちほこった、それでいて何処かに皮肉な挑戦的な調子を含んだ、微笑だった。が次の瞬間に、彼女はぴくりと肩を聳かして、あなたは? と眼付で尋ねかけてきた。
 彼はひょこりっと立った。てれかくしに立ち上ったのではなかったが、後で自分ながらそう感じた。
「姙娠なら冷えるといけないから、中にはいろう。ほんとに注意しなけりゃいけない。」
 けれど、何を云ってるんだ! という気になって馬鹿々々しかった。すぐに寝た。秋子は茶の間で暫く愚図ついていた。
 その晩彼は夢をみた。朝になると、どんな夢だったかは思い出せなかったが、大変目出度い夢だったようにも、または不吉な夢だったようにも、考えようによってどちらにも感ぜられた。そして、朝日の光の中を会社へ出かけながら、オチニ、オチニ……という気持で足を運んでいった。
 目出度くても不吉でも、そんなことは構わない。オチニ、オチニ……幼い時小学校でやらされた通りのその歩調が楽しかった。けれど、俺は一体子供が可愛いいのかしら。
 それが問題だった。
 彼の心は浮々していた。浮々しながらどんよりしたものに蔽われ
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