形見分《かたみわ》けとして貰ったのを、袖丈を縫い直した衣類だった。
順造は妙な気持で彼女の姿を眺め初めた。
順一が少し熱を出すと、彼女は用を悉く女中に任せて、その枕頭につきっきりでいた。
「自分の子供に逢いたくはないかい。」と順造は尋ねてみた。
「いいえ、もう他人《ひと》にやってしまったものですから。」
「それでも始終考え出すだろう。順一とどちらが可愛いい?」
「それはお坊ちゃまの方でございますわ。私お坊ちゃまを自分の児の……自分の児より幾倍可愛いいか分りません。乳を上げてるばかりでなく、何だか深い御縁があるような気がしまして……。」
そういう彼女の気持が、彼にはよく了解出来なかった。じっとその顔を眺めてやった。
「順一は仕合せだ。」
独語の調子で云い捨てた彼の言葉を、彼女はよそ事に聞き流して、ぼんやり室の隅を見つめていたが、ふとしみじみと云い出した。
「奥様はほんとにお仕合せでいらっしゃいました。旦那様のお腕に抱かれて息をお引取りなさいましたのですもの……。」
順造は物につき当ったような気がして黙り込んだ。秋子の臨終のことがまざまざと記憶の中に蘇ってきた。その時彼女が生きて
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