い、何だか混沌とした全体だったが、眼だけが神秘で美しかった。ぼんやり見開いてる黒目に、外の光が奥深く映って、僅かな微動にもちらちらと揺いで、それからまた静まり返った。その底から露わな魂が覗き出していた。――それだけが彼の世界らしかった。
 順造は傍からぼんやり見守っていた。
 産婆が毎日湯をつかわせに来た。室の中に上敷を拡げ、盥を置き、その中で湯をつかった。拳を握りしめて肩にかついだ両手と、く[#「く」に傍点]の字に曲げてる両足とだけに、驚くほどの力が籠っていた。根元を堅く結えられてる赤い臍の緒が、湯の中にゆらゆらとしていた。その臍の緒に沃度フォルムが撒布され繃帯がされると、感じから云っても独立した一個の存在だった。顔を渋めて口で何かを探し求めていた。乳が出なかったので砂糖湯を与えた。黒いころころの糞をした。淡褐色の液体を口から吐いた。生れる時に飲んだ汚物だそうだった。乳が出るようになっても、秋子のは盲乳《めくらぢち》だった。乳首をもみ出して吸いつかせるのに、彼女は一生懸命になっていた。
 順造は名前をつけるのに苦心した。いくら考えてもよい名前が浮ばなかった。思い惑ったはてに、自分の順
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