−92−25]が殆んどなかった。頬がふっくらとして、鼻が高かった。その滑かで柔い頬を、指先でちょいとつっつくと、顔全体がくしゃくしゃな渋面となった。はっと思ってるまに、それがまた静かに元に返った。
 赤ん坊もまた疲れてるのだ。
「あなた、何をなすっていらっしゃるの?」
 振り向くと、秋子が眼を開いていた。咄嗟に彼は思い出して、真綿の帽子を赤ん坊に被せてやった。
「馬鹿に長い頭だね。」
 秋子はただ微笑んだ。そして云った。
「もうお寝みなさいな。」
「うむ。」
 曖昧な返辞をしたまま、彼は腕を組んでじっと坐っていた。虫の声がまた俄に響いてきた。聞くともなくそれに耳を傾けてるうちに、彼は底深い夢想に沈んでいった。
「あなた!」
 それが、彼を喫驚さした。
「なぜお寝みなさらないの?」
 秋子が底光りのする眼で彼の方を見守っていた。彼は眼を外らして室の中を見廻した。凡てがひっそりとしていた。母と子との枕頭にいつまでも端坐してる自分の姿が、頭の中に浮彫となって映った。何とも云えないかすかなざわめきが、室全体を外から包んでいた。
 彼は突然恐ろしくなった。背中が冷たくなったのを強いて立ち上った。
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