して、先刻と同じ啼声が今度は落着いた調子で響いてきた。それから後は、頭の加減それとも実際にか、めいるような静けさになった。
彼はぼんやり其処に腰を下した。頭の働きがぴたりと止って、不思議なほど何にも考えられなかった。
「旦那様、旦那様!」強い調子で向うから呼んでる女中の声に、彼は初めて我に返った。
「お生れなさいました!」
髪を乱してる女中の赤い顔が、廊下の入口から一寸覗いてすぐに消えた。
彼は機械的に立ち上った。非常に勇気がいるような気がして自ら自分を励ましながら、半ば捨鉢に秋子の室へはいって行った。消毒薬の匂い[#「匂い」は底本では「幻い」]がぷんと鼻にきた。散らかった室の中の有様が一度に眼へ飛び込んできて、何にもはっきり見て取れなかった。両の拳を握りしめたまま、秋子の枕頭と思われるあたりに坐った。
「お目出度うございます。お坊ちゃまでございますよ。」
彼は声のする方へ頭を下げた。それを挙げようとする時、すぐ前の秋子の顔とぶつかった。口許に力無い薄ら笑いを湛えて、眼は[#「眼は」は底本では「眠は」]涙ぐんでいた。
「ごらんなさいませ。」と産婆は云い続けていた。「まるまる肥っ
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