った。廊下に出てみたが、急にぞっと身震いがして、また室の中にはいった。どうしていいか分らないで、室の中を歩き出した。真中にある机を足先ではねのけて、八畳の室の隅から隅へ対角線を、しきりなしに往き来した。隅でぐるりと一廻転するのが、初めは何だか変だったが、次にはそれが一のリズムとなった。とんと一つ調子を取るようにぐるりと廻って、それから真直に平らな歩調となり、向うの隅でまたとんと調子を取った。彼方の室全体の恐ろしい唸りが、それと呼吸を合してきた。
 生れるのかしら!
 何だかこう得体の知れない真黒な力だった。それがのた打ち廻って、張り切って、裂けて、ぶつりと切れた途端に、猫の仔とも犬の仔ともつかない小ちゃな、ころころとした啼声が、一つ甲高に響いた。次にまた少し低く三四声響いた。それから、くちゃくちゃな静けさになった。
 初めの啼声に立ち竦んでいた順造は、はっとして飛び上った。廊下に出て向うへ行こうとすると、廊下の茫とした薄ら明りが、こちらを見守ってる死人の眼のように感ぜられた。彼はまた室にはいって襖を閉め切った。胸が高く動悸していた。
 ざわざわしたどよめきが、彼方の室に起っていた。暫く
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