秋子は、予定よりも三週間ばかり早く産気を催した。
その朝彼女は、今日一日会社を休んでくれないかと順造に頼んだ。[#「順造に頼んだ。」は底本では「順造に頼んだ」]前晩から様子が変だった。それでもなお半信半疑でいた。順造に留守を頼んで、女中を連れて銭湯に行った。帰って来て、それから昼食を済すと、本当に陣痛が襲ってきた。女中が産婆の許へ走った。
弱い中に鋭さを含んだ初秋の陽が、障子の下半分にぱっと射していた。秋子は布団の上に坐り、膝にのせた括枕《くくりまくら》によりかかって、障子の日向に写ってる松の小枝の影を、ぼんやり[#「ぼんやり」は底本では「ほんやり」]見つめていた。
「どうだい様子は?」
順造は十分おきくらいにくり返し尋ねた[#「尋ねた」は底本では「尋たね」]。その度毎に彼女はふり向いて、疑惑を含んだ眼付で見返した。何も云うことがなかった。沈黙のうちに、時々その大きな腹が波打って、彼女は肩のあたりをねじ曲げながら、眉根をしかめ歯を喰いしばった。心持ち引歪めた唇の間から、真白な小さい歯並が覗いていた。
「寝たらどうだい?」
「この方が何だか楽のようですから。」
痛みが去って、ほっ
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