なかった。
「あすこで泳ぐと面白いんですよ。」
 そう云って彼は眼を円くしてみせた。
「どうして。」
「一里ぐらい沖まで持って行かれちまうんです。」
「え、沖へ?」
「潮の加減で引力が強いんです。それに乗ったが最期、沖へ流されるより外ありません。普通に、みお[#「みお」に傍点]と云ってますが、漁夫達でさえ恐れてるくらいです。そんなのが方々にあるから、この海ではうっかり泳げません。毎年死ぬ人があるんですよ。」
「本当?」
 姉が吃驚《びっくり》した顔をして彼の方へ向き直った。
「本当ですとも。もっと面白いことがありますよ。地引網《じびき》にね、時々大きな鱶《ふか》や鮫《さめ》がかかってくることがあるんです。するとその腹の中から、人間の頭がよく出てくるんですって。」
「まあ、いやだこと!」
 その叫びにも無頓着かのように、俊子はやはりじっと沖の方を見続けていた。
「もう帰りましょうよ。何だか気味が悪いから。」
 広い砂浜には、太陽の光りがじかに照りつけてるきりで、誰の姿も見えなかった。彼方に数隻の漁船が、置き忘られたように静まり返っていた。
「海を見てると、何だか引き込まれるような気がする
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