の。」
「それがねえ……、」
 とだけ聞えた。
 玄関でひそひそ話してるのは、姉と俊子だった。
 彼は我を忘れて立ち上った。頭がかっとして胸騒ぎがした。まごまごしてる所を、玄関から上ってくる俊子とばったり眼を見合った。どうにも出来なかった。頭を垂れて、其処に坐った。熱い塊りが胸の底からこみ上げてくるのをじっと堪《こら》えた。
 俊子はつかつかとやって来た。
「御病気ですってね。ちっとも存じなかったものですから……。」
 それを姉が側から引取った。
「いえ、病気というほどのことじゃないのよ。神経衰弱ですって。」
「そう。」
 一寸まごついた其場しのぎの返事をして、姉と意味ありげな目配せを交した後に、また彼の方へ向いて、
「海は頭に余りよくありませんのよ。私も帰ってから四五日の間は、何だかぼんやりしていましたわ。」
 それらの様子が変だった。が、青っぽい羽二重の帯を胸高にしめ、上からお召の羽織を背抜き加減に引っかけて、その紐を胸に小さくきっと結え、無雑作に分けた髪を耳の上で一つねじって低めに束ね、細い頸筋を差しのべて、心持ち眉根を寄せながら、睫毛の長い澄みきった眼で彼の方を窺ってるのは、や
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