戻ってきて、ほっと後ろを振り返ると、今まで同じ速さでついてきていたその船が、何処へ行ったか消え失せてしまってるんです。その時はほんとにぞーっとしたと云っていました。」
 まあーと云ったように、姉は眼をきょとんとさし口を開いて、彼の顔を見守った。
「そんなこともありそうですわ。」と俊子は静かな声で云う、「海には一つの霊がないとしても、何かのいろんな霊が籠ってるに違いないわ。」
 波の音がその声を、上からどーっと押っ被せてしまった。が、その波音の中にまた何か変な気配がした。上を仰いで見ると、一羽の黒い鳥が低く飛び過ぎた。
 彼はぎょっとした。思わず俊子の方へ身を寄せると、俊子は眼と口元とで軽く微笑んでみせた。その顔が怪しく美しかった。彼は胸の中でぎくりとした。度を失ってまごついてると、俊子は瞬間に眼を外らして、腕につかまってきた姉の方へ云っていた。
「臆病な方ね。鳥じゃないの。」
「だって、私何かと思ったわ。生きたものならちっとも恐かないけれど、怪しい変なものは大嫌い。」
「私はまた、お化《ばけ》ならちっとも恐かないけれど、人間が一番恐いわ、何をされるか分らないから。」
 月の光りが急に明
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