は、未だ名を成さない作家を世に紹介するものは、天才をして益々光り輝かしめ愚才をして死滅せしむるものは、そういう批評であると信じている。根本に於ては人とその芸術とを切り離し得ないものであると信ずる私は、右のような批評こそ真に望ましいものであると思っている。
然しながら、月評はそういう批評とならないのが至当であろう。月評家は己の眼界を、単に作品のみに限らなければいけない。その作者の素質なり傾向なりは、之を言外の領域に放逐するがよい。勿論、各作品には、如何に投げやりに書かれた作品にも、作者の生きた血と肉とが含まれている。其処から作者の本質に探り入ることも、優れた評家には出来得るであろう。然しそういう努力は月評には不要であると私は云いたい。何処よりか突然降来った作品、作者より切離された作品、その作品の独立した芸術的価値、それだけで月評の対象には充分である。芸術はその作者に即したものではあるが、また具象的独立性をも有するものである。その独立した作品そのものに対する批判のみで充分である。作者の素質なり傾向なりを一々論議する時には、月評はやがて自身の死滅を来さなければならない。なぜなら、作者の素質
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