んとする。其処に大なる危険が存する。
偶像に支配されることは最も危険なことである。何となれば、行為の責任は直接に人に返って来るから。ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ人は、主人公ラスコルニコフのうちにこのことを感じ得らるる筈だ。(勿論主要な問題は他に在るが)。そしてラスコルニコフが結末に於て救われたのは、少くとも救わるるであろうと思われるのは、此の偶像を心のうちで破り捨てたからであった。
然し最も悪いのは、偶像に引き戻されることだ。偶像に引きずられることだ。そして倫理的に死滅を遂げることだ。
吾人は常に自分の心から自分で動き出さなければいけない、他のものから引きずられてはいけない。これは永久の真理である。
倫理的行為の価値は、責任の感じから出立して来なければならない。全く動機を除外した所に、全く盲目的な所に、全く責任の除外された所に、倫理的価値評価が成り立つものではない。そして責任ということは、自ら意識して動き出した所にしか存しない。凡て強いられた所に、盲目的に引きずられた所に、責任なるものがある筈はない。もしあるとすれば、それは自己の微弱であったこと、それだけの責任だ。それ
前へ
次へ
全10ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング