偶像に就ての雑感
豊島与志雄
吾々は多くの偶像を持っている。――(茲で私は偶像という言葉を、或はリテラリーに或はフィギュラチーヴに或は両方を総括した広い意味に用いる。)
偶像は吾人の感情の、心の働きの、或は心象の、象徴化されたものである。それはぴたりと吾人の魂に触れる。そしてその生命は吾人の手中に在る。吾人はそれを殺すことも生かすことも出来る。必要になったら、それを幾つも拵えて生命の息吹きを吹き込んでやるがいい。不要になったら、どしどし破壊して泥の中に投ずるがいい。
私はまだ幼い頃、巫女の祈祷なるものを見たことがある。私の祖母は武家に育ったに似合わず、そういうものに或る信仰を持っていた。そして或る時、巫女が私の家に招かれて、座敷でその祈祷が行われた。何のためであったか私は今記憶していないが、何かいけないことがあったに違いなかった。
それは髪の毛が白くなっている老婆であった。がその両眼が異様に輝いていたことを私は今だにはっきり覚えている。座敷の真中に机が据えられて、それには榊だの御幣だの其他種々なものがのせられた。そしてその前に、仏壇に供えてあるような青銅の香爐に妙な匂いのする
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