で林はそのまま立ち上った。
林は平素よりいくらか当りが悪いようだった。
「大変優勢だね。」と村上はおたか[#「たか」に傍点]に声をかけた。
「ええ今晩は馬鹿にいいのよ。」こう云って彼女は怪しい笑みを洩らした。
黙ってゲームを見ている松井の心にある佗びしい思いが湧いた。何ということもなく只捉え難い空虚の感である。瓦斯の光りが妙に淋しい。球の色艶が妙に儚い。
彼は遠い物音をでもきくような気で球の音をきいていた。暫くして漸く心をきめた。
「おいもう帰ろうよ。」
「え!」と村上は松井の顔を覗き込んだ。
「僕は先に失敬しよう。」と松井は云い直した。
「いや僕ももう帰るよ。」
「おやもうお帰り?」おたか[#「たか」に傍点]が親しい調子で云った。「今日は大変お早いんですね。」
松井はじろりと林を見て、それからつと外に出た。村上もすぐ後に続いた。
大地は心地よく湿っていた。空は綺麗に晴れて星が輝いていた。清い新鮮《フレッシュ》な気が夜を罩めて、街路はひっそりと静まり返っている。夜更けの瓦斯の光りには、何処にも宵の雑沓の思い出がなかった。
「いい晩だねえ。」
「ああ。」
暫く無言で歩いていた
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