たかつかないのか、向うをむいて通りすぎてしまった。村上も黙っていたそうである。
「本当なのかい。」と松井は眼を輝かした。
「嘘を云ってどうするんだい。」
二人はじっと相手の眼を見入った。
「あの婆がいけないんだよ。」
「そうだ。」と松井も応じた。
「もう余りあの家に行くのは止そうよ。」
「ああ少しひかえようね。」
然し二人はやはりよくその家に出かけて行った。
彼等はある一種盲目な力に引かされたのである。そしてその家には、彼等にとってはある淋しい心安さがあった。
丁度おたか[#「たか」に傍点]が居なくなって二週間ばかり過ぎた時、二人はその家に林を見出して全く意外の感に打たれた。
林は二人を見て一寸頭を下げた。村上は澄まして向うに行ってしまった。然しその時松井は、わけもなくほっと軽やかな心地を感じて、ずっと林の前に歩み寄った。
「大分暫くでしたね。」と松井は云った。その声は妙に喉の奥でかすれた。
「ええ。丁度暫く病気をやったものですから。まだ薬を飲んでいますけれど、もう殆んど宜しいんです。」
「それはいけませんでしたね。」
そのまま黙って松井は林の前につっ立っていた。林は横を向
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