見ることの出来ぬ夢であった。
 おたか[#「たか」に傍点]はちぇっと舌打ちをして球台から飛び下りた。そして急いで球を拭き終ってそれを箱の中にしまった。もう客もないと思ったのである。そして刷毛で台の羅紗を拭いた。生に疲れたといったような気分が彼女の心を浸していた。
 その時表に急な足音がして、入口の硝子戸ががらりと開いた。
 それは松井であった。傘を手にしながら殆んど半身は雨に濡れていた。
「まあどうなすったんですか。」
「球突きに来たんだよ。」
「おやそれはどうも毎度あり難う。」と云っておたか[#「たか」に傍点]は笑った。
「なに実はね、今日昼間から友達の処へ行ったんだ。余り止まないから帰りかけたんだが、この通りびしょ濡れになってしまって、仕方なしに飛び込んだのさ。」
「あら大変濡れていらっしゃるわね。家に着換でもあるといいんですが。……あそうそう、」と云って彼女は大きく一つ息をした。「煖炉を焚いてあげましょう。少し早いんですけれど。じきに乾きますよ。」
「なにいいんだよ。」
 それでもおたか[#「たか」に傍点]は煖炉に炭をくべて、火を入れた。二人はその前に椅子を並べた。
「さすがに今
前へ 次へ
全32ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング