おりたような新鮮さを持っていました。彼に言わせますと、池の水には死んだのと生きたのとがあり、死んだ水の面には夜露はおりないが、生きた水の面には夜露がおりるのでした。その夜露のおりた水で顔を洗ったら、さぞ爽快だったでありましょう。だがそれだけは、この池では、恒吉もしませんでした。下水が流れ入るわけではありませんけれども、都会のなかの池の水には、やはり、都会の埃がしみこんでいました。ところが、今、あたりは焼け野原となり、その野原には、畠があちこちに作られ、麦の葉がそよぎ、蚕豆の花が咲きそめ、いろんな菜っ葉が伸びだして、つまり、大地の肌が薄汚い人家の古衣を脱ぎすてて真裸となり、春の息吹きをすることが出来るようになりますと、池も水もすっかり新鮮になったようでした。けれどもやはり、恒吉はそこで顔を洗えませんでした。
 ――俺の方がやはり都会人で、野人になりきれないからだ。
 そういう淋しさが却って、池に対する愛着を増させました。
 彼は酔うに随って、池のことをいろいろ語り、石についてる苔のことや、水すましのことや、蜻蛉の幼虫のことや、小鮠《こはや》のことや、水蓮のことや、その他さまざまなことを語
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