ただ機械的に働いてるだけでした。辰子は、台所でただ機械的に晩の仕度にかかっていました。大井夫婦は、池の水が干上ると帰ってゆきました。その間、時子は始終、全く口を利かず、木彫のように体を硬ばらせ、表情をすべて奪われたような顔に、切れの長い眼を光らしているだけでした。
 ――すべてが白日に曝されたのだ。何が淋しいのか。
 恒吉は自らそう言って、そして煙草を吹かしました。生け捕った魚類はすっかり、また池へ放してやりました。

 池浚えから、なか一日おいた日の早朝、池の中に大井時子の死体がありました。
 なま温い朝で霧がかけていました。池の水はまだ澄みきらず、薄く濁っていて、水面が重たそうに見え、それに霧がまといついていました。その水面に、浮くともなく沈むともなく、時子の死体が横たわっていました。
 胴体は仰向いて、縞目も分らぬ黒っぽい着物に、帯はしめず、伊達締の赤い模様が浮きだし、裾は乱れて、あらわな足が水中に垂れ、きりっと合せた真白な半襟から、首が少しくねじれて、顔は横向きに、口を開き、鼻から上は乱れた黒髪に蔽われていました。その全体が、痩せて硬ばって、水死人とは見えず、まるで木彫のようで
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